【瓶詰地獄】たった3通の手紙から無限に楽しめる思考ゲーム
これほど深くはまり込んだ小説はない。
読むと精神が崩壊するといわれる「ドグラ・マグラ」の著者である夢乃久作が書く10分ほどで読める短編小説。
10分で読めて永久に考察ができる魅力があるのだ。
内容は
無人島に漂流した二人の兄妹が流した3通のボトルメッセージにより話は展開される。
私がこの小説に熱中した理由は、順当に頭から小説を読み進めていけば3-2-1の順番による手紙だと推測されるが、読み返すうちに内容の矛盾に気づきはじめる事だ。
順番の正解は無く、どの順番でも物語が成立してしまう不気味さがこの小説の魅力ともいえるだろう。
まず着目すべきは漢字だ。
第一の瓶は漢字はほとんど使われておらず、時系列てきにはまだ幼い二人と推測でき、手紙を出した順番は1番古いと思われる。
◇第三の瓶の内容
オ父サマ。オ母サマ。ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニ、コノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。
市川 太郎
イチカワ アヤコ
第二の瓶の一部抜粋ではあるが、ところどころカタカナでたどたしさもある。
◇第二の瓶の内容
私と、アヤ子の二人が、あのボートの上で、附添いの乳母ばあや夫妻や、センチョーサンや、ウンテンシュさん達を、波に浚さらわれたまま、この小さな離れ島に漂ながれついてから、もう何年になりましょうか。
この島は年中夏のようで、クリスマスもお正月も、よくわかりませぬが、もう十年ぐらい経っているように思います。
その時に、私たちが持っていたものは、一本のエンピツと、ナイフと、一冊のノートブックと、一個のムシメガネと、水を入れた三本のビール瓶と、小さな新約聖書バイブルが一冊と……それだけでした。
そして第三の瓶は文章も漢字も大人びた様子で順当にいけば 3-2-1の順番でも納得がいく。
そもそもこの手紙の漢字なのだが、普通に考えて子供が使うことはないだろうという難しい漢字も手紙の中に出てくる。
その理由は聖書に書かれている漢字を教科書代りにしているからだ。
簡単な漢字は書けないが、聖書に出てくる漢字は使いこなすという不気味さがまたたまらない。
物語をざっと説明するとやたら禁忌を犯すというワードがでてくるのだが、無人島で大人として成長していく二人が異性として意識しはじめ、心中するという内容。
何もない無人島で二人を成長させるのは聖書であり、近親相姦というのは聖書の中では禁忌とのことだ。
禁忌を犯してしまい自責の念に侵され迎えの船が来たにも関わらず身投げしてしまうという内容なのだが、しかし物語をひっくり返すのは第二の手紙にある。
強烈な恋心を抑えこんでいた太郎がちょっと壊れるのだ。
第二の手紙で太郎は聖書を燃やし、迎えの船への目印であるヤシの枯れ葉を壊してしまう。
「もう俺我慢できねーわ!聖書燃やしたし!目印壊したし!禁忌なんて関係ねーよ!ヤ〇たるぜい!」的な描写。
欲情した太郎はアヤコを探しにいくのだけども、崖の上でお祈りしているアヤコはもしかしたら自殺するのでは?と思える振る舞いに太郎はアヤコを引き連りながら小屋へと戻る。
その後自分を責めて、反省する太郎なのだが鉛筆の残りが少ないので手紙はもう長くはかけないと記す。
ならば第一の手紙は書けなくなる。
第一の手紙は結構長い。
第二の手紙の後に手紙がかけるなら、第三の手紙くらいである。
しかし、第三の手紙は幼すぎる。
第一の手紙では最初の手紙を見つけて両親が探しにきたと書かれているが
この三通の手紙は同時に発見されて、内容は両親たちは見る事はありえない。
そもそもヤシの枯れ葉を壊しているので目印になるものがない。
第三の手紙は幻覚が見えたアヤコの手紙なのでは?とも思える。
第二の手紙でアヤコは崖から身投げしようとし、太郎が止めに入ると狂ったように泣き叫ぶ描写がある。
先にアヤコが第三の手紙を書き、その次に太郎が第二の手紙を書く。
3-1-2でも順番は成立する。
個人的に好きな並びは2-1-3である。
禁忌を犯し、二人とも狂い幼児帰りするという推測だ。
まあ正解はないのだから、さまざまな推測がたち議論しあうことがこの小説の醍醐味なのだろう。
たった10分の小説にまんまとしてやられたのである。
なぜかアナタハンの女王事件を思い出したな。
本日は以上。